倉俣史朗展カタログが再販


倉俣史朗は、世界的に高い評価されているインテリアデザイナー。1991年に急性心不全で亡くなるまで、店舗デザイン、インテリアデザイン、グラフィックデザインで多くのすばらしい作品を世に送り出しました。1996年に原美術館にて開催された回顧展「倉俣史朗の世界」のカタログが再版されました。やっと手に入れることができました。倉俣デザインを知る上で、資料としてはかなり充実していると思います。今ではもう現存しない商業施設(店舗など)のインテリアデザインなどの写真使用が充実しています。
1965年頃、まだデザインというものがあまりフューチャーされていなかった時代に松屋のインテリアデザイン室に在籍していたようです。いまでこそ、銀座松屋のデザインコレクションにあるアイテムはどこででも入手可能になったけれど、ちょっとセンスのいい友人へのプレゼントなどをよく探しに行ったものだった。
その後、クラマタデザイン事務所を設立し様々な作品を世に送り出したが店舗デザインなどは、ほとんど残っておらず現存しているのは、赤坂にある鮨店「梅ノ木」と静岡のカフェ/バーCOMBLE(コンブレ)くらいだそうです。再販されたカタログには、いまではもう見ることのできない店舗の写真が多く掲載されています。 
プロダクトデザインの代表作として、ハウ・ハイ・ザ・ムーンやミス・ブランチなど挙げればきりがないのですが、(ちなみにミス・ブランチのプロトタイプはコクヨさんにあるそうで、アームの形が製品とことなります。知らなかった…。)
随分前に観たNHK日曜美術館で「K-SERIES」(通称オバQ)の製作現場を放映していた。その制作過程は衝撃的だった。まだ柔らかいアクリル板を4人で四方をもって人力で成型していく。機械化はムリなんだろうけど、あの映像を見てさらにオバQがいとおしくなった。私の『いつか成功したら手に入れるリスト』に記載されているもののひとつである。
今年の始めに、イタリアデザインの重鎮であったエットレ・ソットサスが他界し、そのソットサスにより結成されたデザイン集団でメンフィスに倉俣氏もメンフィスの展覧会に出展した。メンフィスについては、その姿勢がポストモダン的でるために歴史の裏側に追いやられたこともある。しかし、ソットサスが他界したことによりその再評価が高まりつつある。歴史は繰り返すがデザインや建築でもそのムーブメントは同様である。ソットサスの倉俣氏に対する言葉がこう記されている。
あたなを想うとき…いつも雪が舞っている(It always snow when I write you)