チャールズ・イームズ写真展 100 images×100 words【Part5】

チャールズ・イームズ写真展で、写真の裏面にあった100の名言を毎日10ずつ載せています。今日は41から

41.レイ(レイ・イームズ)というのは兄弟ではなく、妻の名前だ…

42.親愛なるレイ。お金のないところから、ぼくらははじめる。君にそんなにたいしたことじゃないって言ってほしい。

43. 今すぐ君に会いたい。互いの心で「夢の人」になるのはやめよう。

44.私ができることを、彼女(レイ)はもっと上手にやってのける。

45.家は世話がやけるものであってはならない。むしろ、人生をささえるものである。この家は、人生の指針を与えてくれるし、衝撃もしっかり吸収してくれる。

ケース・スタディ・ハウスのことなのでしょうか?

46.一流のアーチストは、常に制約を探し求めて自分に課す。それは無限の選択肢がひしめく現代にあって、統一感のある構成を維持する数少ない方法のひとつなのである。

47.(ミース・ファン・デル・ローエが)こう言った。「人の関心を引きたいわけではない。ただ、素晴らしい職人になりたいだけだ。」これは職人ならば、胸に刻みつけておきたい言葉である。

ミース・ファン・デル・ローエは、20世紀を代表するモダニズム建築の巨匠である。ミースはあのバウハウスの校長を務め、1933年にナチスによって学校が閉鎖されたためにアメリカに亡命した。代表作として、1950年ファンズワース邸や1958年のシーグラムビルなど。家具では、バルセロナチェアが有名。観たことあると思いますよ〜。

48.私は自分のことを建築家だと思っている。身の回りのものの構造を見ずにはいられないし、構造とは建築そのものなのだから。

49.レイは画家だった。ここニューヨークで長年ハンス・ホフマンに師事していたのだから、申し分のないスタートだった。

ハンス・ホフマンは、ドイツ人画家だが1930年代にアメリカに移住。ニューヨークで学校を開校した。アメリカの抽象表現主義に大きな影響を与えた。

50.家具の中でも、とりわけ椅子には興味がある。それは椅子が人間サイズの建築作品であるためだ…。だからこそ建築家は家具をデザインする―自分の手で抱えられるような建築作品を。

建築家が椅子をデザインする理由。

ミース・ファン・デル・ローエの建築言語

ミース・ファン・デル・ローエの建築言語