「あなたの中のアートが社会へ開かれる時」宮島達男 080523@六本木アカデミーヒルズ【Part2】

まずは、ホスピス・プロジェクトを伝えるNHKの映像が流れる。

2000年、秋田外旭川病院「時の浮遊―ホスピス・プロジェクト」
この病院に末期ガンの患者として入院している相馬さん。彼は病院で過ごす時間にパズルをして過ごしていた。しかし、いくつもの完成させていくうちにパズルに物足りなさを感じていた。アーティストである宮島氏との出会いで、作品を制作することになった。
宮島氏は、デジタルカウンターを使った作品を多く作ってきた。相馬さんが制作した作品は、デジタルカウンターが天井のプロジェクターから床の上に投影される。色やスピード相馬さんが決めて、ボランティアの手を借りながらプログラムしていく。
作品を制作している時は、いつのまにか痛みを忘れている。そして、自分にしかできない作品を作りたいと挑戦している。その時制作していた作品のコンセプトは、草原を駆け回る動物たち。いい作品を作ることが生きがいとなっていると語った。

宮島氏

相馬さんは最期まで作品を作り続けた。全6作品である。そのどれもがすばらしい。私はアーティストとして原型を作ったが、相馬さんの作品は自分では決して作ることのできないものだった。映像で観た草原を動物たちが駆け回る作品は、ベースにきみどりを使っている。きみどりという色だが、私にはこわくて使えない色である。つい、無難で頭の良さそうに見える色、黒とかを使いがちである。しかし、相馬さんはそんな先入観などなしに軽々と作品を作る。作家である自分にとってそれはシンプルで衝撃だった。プロジェクト後はきれいな色を使うようになった。これは相馬さんの影響である。

アーティストがいわゆるアーティストでない普通の人から影響を受けたという言葉を、いままでに聞いたことがあっただろうか?しかも色使いである。アーティストとそうでない人という分け方に対して、すでに私たちに疑問を投げかけているのではないだろうかと思った。また、相馬さんとのプロジェクトを振り返って正直な気持ちを語っていたことがとても心に残った。

ホスピス・プロジェクトを続けることは精神的に非常に苦しかった。辞めてしまいたいとも思った。それは相馬さんの死期がわかっているからであり、自分が健常者で一体どんなことを話しかければいいのかもわからなかった。そして、医者からひとつだけ約束して欲しいといわれたことがあった。それは絶対に明日以降の約束をしないこと。もしそれが果たせなければお互いがつらい思いをするからと。しかし、救いは相馬さんの好奇心だった。私と会っているときは、薬を飲んで痛みを抑えて比較的体調がいい時だということもあるが、明るい表情であった。相馬さんは死期がわかっているが、自分だって実はいつどこで何があるかわからないと思った。実は同じなんじゃないか?と思った。今、生きているということは平等である。だから特別に接するということは逆に失礼ではないかとも思った。二人で過ごしている時間は変わらないのである。
黒澤明監督の「生きる」という作品がある。ストーリーは役所に勤める平凡な男が、ある日ガンを宣告された。それまでは、ただなんとなく生きていた男が公園を作るために奔走するのである。男は自分の死期を知ることがなければ、退職するまでなんとなく過ごしてしまったかもしれない。現代社会で、自殺が多いのは生きるということが軽んじられる傾向だからではないか?それは、「死」がリアルに感じられなくなったからではないか?

水戸芸術館での展覧会で発表された「DEATH CLOCK」という作品。世界中の多くの人が参加した。

作品の作成時には、参加者はプリクラ感覚で自分の写真を撮影するが、自分の死ぬ日時を決めるときに、それまでとは打って変わって真剣な表情になる。それは、多分自分がどんな風に死ぬかを考えるからではないかと思う。日本では熊本市現代美術館での展覧会で制作されたが、日本人は比較的、躊躇なく参加する。しかし、ヨーロッパ人は怖がる傾向にある。この作品は、参加者に「死」をリアルに意識してもらう装置であり、そしていかに生きるか、これからが存在するということを感じてもらうためのものである。

実は、水戸芸で「DEATH CLOCK」を観たとき正直怖いと思った。理由とかなくて。多分「死」を考えることが無意識に怖いのだ。だから、もし自分だったらこのプロジェクトに参加できるか?と考えたけど、そんなに躊躇なくできないなーと思った。子供の頃ならきっと眠れなくなったと思う。

次回は柿の木プロジェクトについてです。日本の美術界では評判のよくないというこのプロジェクトについです。