川俣正〔通路〕@東京都現代美術館 08/04/05

先日、東京都現代美術館で開催している川俣正〔通路〕展に行ってきました。
これまでの多くのプロジェクトを発表し続けてきた作家の膨大な軌跡を観る
ことができる展覧会である。また、美術館のあちらこちらに
おかれたベニヤで作られた通路(なんですよね?そういうタイトルですから)
というか、目隠し(みたいですよね?)の間を通っていく感じはなんでしょう?
とりあえずここをお通りください的な感覚といいましょうか?


そのインスタレーションが廃材と勘違いされて撤去されて
しまうこともあったらしい?過去の様々なプロジェクトを写真と
スケッチで観ることができます。
コレだけの資料を全て取ってあることもすごいけど、
作品だから当たり前なのかもしれませんが。
ヨーロッパでのプロジェクトの写真では、その石造りの
町並みに一見雑に組み上げられた木材が強い存在感を持ち、
観ている側には何故だかノスタルジーを連想させる。


建築というものは、良くも悪くも風景を変えてしまう。
変わってしまった風景を目の当たりにした時、
人はいままでその風景を見ていなかったといことに気づかされるのである。


ビデオ上映されていた、パリのサルペトリエール病院サン・ルイ教会で
行われたインスタレーションである『椅子の回廊』の
制作過程を観た。最初は椅子を円形に配置して、
その上に組み上げていく。椅子同士は結束バンドで
留められているようだが、椅子というヒューマンスケールのものが構造物と
いっていいほどに積み上げられたその内側は結界というか、
教会と椅子の二重に包まれたシェルターのようでもある。
また教会という、決して侵されることのない聖なる空間が
戦場のようにも錯覚してしまう。体験していないので、
あくまでも映像から感じた感想になってしまうが、
それでも十分伝わる強さがあった。


2001年の9・11以降、アートはその意味を問われ続けいている、
何のためにと。これらのインスタレーションは、
そのプロジェクトに関わった人、そしてその場を体験した
人にとってアートが伝えようとしていることだけは
感じ取れるに違いない。役に立つことだけに意味を見出す今という時代が、
いかに無味乾燥であるかということを感じないではいられない。
日常を少しずらして、風通しを良くすると見えてくるものがあるばずだ。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~onthetab/newfiles/homej.html