ルオーとマティス展@松下電工汐目留ミュージアム


今年はルオー没後50年ということもあって、ルオー関連の展覧会が他に出光美術館(6/14〜8/17)でも開催される。ルオーといえば『ミセレーレ』『サーカス』なのだが、今回はギュスターブ・モローの門下で知り合った二人が生涯を通じて互いの芸術を認めつつ友情を温め合ったことが、近年見つかった往復書簡で明らかになった。
往復書簡の存在は、ルオーの孫にあたりルオー財団代表であるジャン=イヴ・ルオー氏が長い歳月をかけてその所在を膨大な資料の中から見つけ出すことができたからである。いくつかの書簡は、二つの大戦によって消失してしまったが、それでも今回の展覧会では二人の偉大が画家の心の交流を窺い知ることができる。
ルオーがギュスターブ・モローの門下で、後にモロー美術館の初代館長になったことは知っていたが、マチスもモロー教室の聴講生として認められて学んだということはあまり知らなかった。そして、モローの影響(作風ではなく、芸術に対する姿勢という面において)を強く受けていたということも。
モローが教育者としても芸術家としてもすばらしい才能を持っていたということも、この展覧会ではその一端を垣間見ることができる。才能を見抜くこと、そしてその才能を生かすように導くというのはどのような能力なのだろうか?同じく芸術家だから?モロー美術館であの圧倒される作品郡を観ていると、作品を制作するという行為に対して真摯な姿勢で取り組んでいただろうと思われる。モローが、その才能を見抜いたルオー。ルオーの初期作品からは想像もできない、心を揺さぶられるようなサーカスの作品群やキリスト教的題材の作品を観ることができるのもモローによるところが大きいということもこの展覧会では語られている。ルオーをはじめて観て衝撃を受けたときのことを覚えている。すばらしい作品というのは油断してるときに限って、心を動揺させるのだ。
マティスの作品が、その華やかさとは対照的に病のために身体の自由を制限されたところから切り絵の手法を使った作品が制作されたということにも触れておかなければならない。マティスの好きなところはその色彩だと多くの人も賛同してくれると思う。20世紀初期の、現代とは違うであろう生活の中にある色彩というものを想像すると現代人にとって身の回りに溢れる商品の数々のために、色彩は無限であると錯覚してしまいがちである。鮮やかな色彩を使うことが想像しているよりも容易ではないように思う。
だから、マティスの作品が現代的だと思われているのではないだろうか?ルオーの対象を深く追求する制作スタイルと、マティスの色彩による表現。これは観ておいた方がいいと思います。
マティスとルオー:5月11日(日)まで