「美しい景観」と「悪い景観」@10+1 No.49 特集=現代建築・年問答集32/江東デルタ地帯のマジノ線〔著:石川初〕

すでになくなってしまったが、「美しい景観を創る会」というのが伊藤滋早稲田大学特命教授の呼びかけにより、建築や都市計画、土木の専門家によって構成された。結果としてこの活動は、チームマイナス6℃のようには市民を巻き込むことはできなかった。それは何故なのか?
そもそも「美しい」とか「悪い」という基準は誰が決めるんだ?ということなのではないだろうか?ウェブサイトでは、実際に「悪い景観100選」(こちらのサイトで現在は見ることができます。)というのが写真で示されていた。

この「悪い景観」については、どうしてここを選んだのかというのがあいまいすぎる。確かに美しい景観というのではないけれど、悪いかもしれないけれど、写真で個別に論うほどの醜悪さっていうのは感じられなかった。都市の雑然とした広告なんかは、NYのシンボルであるネオン広告やソウルの南大門とか、それはそれで自分が観光客ならそのネオンを撮ってその土地にライブ感をスナップにおさめたりすると思う。また、よくこの手の議論で挙げられる日本橋上の首都高だが、あれも確かに日本橋というイメージとは対照的ではあると思うし、高度成長が都市計画をないがしろにしてきたための風景ではあると思う。実際、あの場所に首都高を通すしかなかったんじゃないのかな?(そのとき考えた最善だったと思いたい)
しかし、この景色を観て「シュールだな」などと感じたりしている自分もいる。実は決して否定的な気持ちだけというわけではなかったりするのである。この10+1 No.49 特集=現代建築・年問答集32/江東デルタ地帯のマジノ線という記事で「住宅・都市整理公団」というサイトを運営している大山顕氏のブログからの引用があり、私が日本橋の風景をみたときの気持ちをドンピシャで表現されていたのでさらに引用してみますと

首都高が覆いかぶさる日本橋は、東京における都市計画のまずさを象徴的に表すものとして良く取り上げられる。たとえば、「美しい景観を創る会」もこれをやり玉に挙げている。その通りだと思う。その通りなんだけど、こういう風景に惹かれる自分がいることにぼくは自分でむずむずする。ただのニヒリズムと言ってしまえばそうなんだろうけど、こういう人たちが言う「美しい景観」ってなんなんだろう、とも思う。(…中略…)都市計画を勉強していたときも思ったが、こういう人たちが言う「良い景観」ってイタリアの街並みだったり京都の良さげな街並みだったりするが、それって「高架下の風景ってグッとくるよね」というのと何が違うのか。
大山顕「『住宅都市整理公団』別棟:高架下風景について」http://blog.livedoor.jp/sohsai/archives/50350446.html

グッとくる。または、なんとなく郷愁を感じているのかもしれない。サウダージ…。
美しい景観と悪い景観を、一刀両断にできるほどの説得力を持っている人がいないような気がする。なんだか今の日本の政治のようですよ。痛みを伴う改革だとか、もっと見直すべきことがあるのでは?というような、どちらの意見にも一長一短で決め手がないという印象。そういういきさつかどうかは解りませんが、「美しい景観を創る会」は2007年にその活動を終了した。
では、悪い景観というものについて「江東デルタ地帯のマジノ線」の記事で石川氏の文章を引用すると

(美しい景観を創る会の「悪い景観」「改善事例三十選」「良い景観」から導きだされる傾向というのがあり)「良い景観」はすべて、改修も含めて何らかのかたちで計画され、建設されたプロジェクトであり。一方で、「悪い」とされているもののほとんどは、計画の外にあって「いつのまにかそうなった」光景である。「悪い景観」リストに付されたコメントが非難しているのは、住民や企業の私的な利害・都合が、「景観という公共の共有物」を阻害している、ということである。(…中略…)美醜よりも、景観への「配慮」に欠ける態度や、そうさせている個人主義、効率主義が叱責されているのである。景観の悪さではなく実は「態度の悪さ」を諌めているわけだ。

なんとなく解る気がする。でも、私が思うのはちょっと違っていて日本の都市計画が失敗してるところもあるけど全部上手くいくなんでムリだと思う。資本主義の日本で経済活動をする企業をどの程度抑制するかというのも難しい問題だと思う。まあ、今の都市が賛否両論であっても、100年後の評価はどうかわからない。現在の評価も大事ではあるけれど。あのエッフェル塔だって最初は賛否両論だったわけだし。
あとは、安全ということも都市計画には重要だと思う。今、私が勤めている虎ノ門地震などの自然災害や考えたくはないけれどテロが起こったりしたら、この過密都市で自宅のある世田谷まで私は帰れるのだろうか?それが可能な都市計画であって欲しいと、お勤めしている人たちはみんなそう思うのではないだろうか?しかし、東京ほどの過密都市をなんとかするっている政策とか、遷都(行政機関を移す)についても政府は検討しているのだろうか?良い景観というレベルじゃなくなっちゃうかもしれないけど。
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話がずれてしまったが、悪い景観というのとはちょっと違うと思うけれど、「工場萌え」ということがちょっとしたブームになっており、工場やダム、水門などのインフラ構造物を愛でる趣味が流行していることについて。この記事では「悪い景観」萌えというタイトルがついている。これらの構造物が悪い景観というか、巨大な人工物であるがために威圧感を感じさせるところがマイナスのイメージに結びついているのだと思う。先日、東京現代美術館で開催されていた川俣正展「通路」では、「コールマイン・プロジェクト」という展示が行われいていた。コールマイン研究室とは何かという説明がサイト掲載されていたので引用するが

コールマイン研究室とは、アーティスト・ミュージシャン・クリエイターを中心とした炭鉱研究・調査・ミーティング集団です。東京都現代美術館で開催された川俣正展〔通路〕において正式に発足し、通路として構成された[通路]展覧会場内でコールマイン研究室/Coalmine Lab.(オープンラボ空間)を展開しました。会場では会期中を通して研究・リサーチ・ミーティング・イベント等を行い、現代を生きる私達が「炭鉱」へのアプローチを通じて過去現在未来について考えています。コールマイン研究室

この展示で、閉口した炭鉱施設に廃墟の美を見出さずにはいられないと思う。これも、炭鉱の持つストーリーと時間の経過による構造物が帯びるノスタルジーなのではないだろうか?私以外にも、そう感じる人が少なくないと思う

美しさというのは、完璧さとイコールではないと思う。どこが足りないとか、過剰だとかそういったものを内包したストーリーにも美しさを見出す想像力というのを人は止められないのでは?

10+1 No.49 特集=現代建築・都市問答集32

10+1 No.49 特集=現代建築・都市問答集32