宮島達男×茂木健一郎トークショー『Art in You うちなるアートを発見する』08/05/14@八重洲ブックセンター

一昨日、宮島達男氏と茂木健一郎氏のトークショーに行ってきました。水戸芸術館へ展覧会を観に行って、やっぱり気になった作品は「HOTO」でした。
それまでの作品とは違った印象だった理由などもわかって、いろいろ目からウロコでした。そして、こんなに面白くてわくわくする気持ちも久しぶりでしたのでレポートしてみたいと思います。あくまでもトークそのものではなくてメモですからご了承ください。割愛しているくだりもありますので。
まず、展覧会のために作品と考えた際に宮島氏がキャラバンをやろう!と思いついて、それを森氏(水戸芸術館の主任学芸員)が本気(?)にして、実行したという話から始まりました。

森氏から:このトークショーに来ている人の多くの人が、お二人に対する憧れを持っているのではないだろうか?それは「世界に出会うことができた人」。では、どうやってお二人は世界に出会うまでを過ごしたのでしょうか?
宮島氏:世界に出会った瞬間の前後、とにかくオリジナリティというものにこだわって探していた。いろいろな素材を試してみたりと試行錯誤の連続だった。芸大の油画科に入ったのに、とうとう卒業まで1枚も油画を描かなかったその理由に油彩というのがヨーロッパの色彩で、その歴史がない自分には使いこなせないと思ったそうです。それで30歳くらいになって、とにかく一生続けられる問題をつかみたかったということです。一生のテーマというのが自分にとってどういうものかと考え続けたとき、どうしても自分で譲れないと思う言葉を思いついたものとにかく書き出していき、そして削っていく。そして三つのコンセプトが残った。(「それは、変化し続ける」「それは、あらゆるものと関係を結ぶ」「それは、永遠に続く」)直感で20年続けられると思った。そして、50歳になってはっきり言おう思った。
茂木氏:今回の展覧会で、「HOTO」を観て宮島さんが『ここにいた』と思ったそうです。「HOTO」という作品が、その大きさ(高さ約3mが巨大だということも関わると思うのだ)から鹿島神宮の「要石」のような存在(要石が地震を起こす地底の大なまずの頭を押さえているという伝説)なのでは?宮島さんにも、「HOTO」で達成感があったのでは?と。(茂木さんといえばクオリアの話で)クオリアとは、パッション→ラテン語パセオ→受難からくる。茂木さんも世界に出会うまではひどい目(?)に合っていたらしい。それは科学的生き方(数字やロジックで全てを表すこと)に疑問を感じていた。そして、クオリアに出会って全てが「統合」された。
宮島氏:じつはパリに逃げようと思っていた。それはパリが「芸術の都」だからなんとかなると思ったが、行けなかった。それで、日本でオリジナリティを見つけるしかないと思い、その時の個展にかけた。(失敗したら筆を折る…って油絵じゃないけど?覚悟だったらしいです)
茂木氏:自分も追い詰められていた。そして、才能は「上手く苦難の道を行く人」だ。そして、インパクト(ストンと突き抜けた表現)はどれだけ苦しみを引き受けたかである。
宮島氏:(茂木さんを見て)頭のいい大人とは茂木さんのような人だと思う。世間とか、斜に構えたりとか、格好いいとか、頭よさそうとかそんなところにエネルギーを使っていない!

ここは私も激しく同意しました。
ここでお二人が話されていたことを私なりの感じ方でお伝えしますと…
現代アートというのは、小難しいものでなければアバンギャルドじゃねーよ的な空気がある。そして、難しくないと権威が保てないからそうしている人がいるってことでしょうか。確かに、美術評論はわざと難しい誤謬で読者をビビらせてるような感じがする。
宮島さんはアートの中に閉じこもることをやめて、もっと広い世界へ。そして、もっと素直に表現しよう思い「HOTO」という作品ができたということなのだと思う。そしてその結果、宮島さんの「HOTO」がそれまでの作品とは違っていて賛否評論であるらしい。宮島さん曰く、「MEGA DEATH」が好きな人は「HOTO」は嫌いな傾向にあるらしい。それはなんとなく解る。「MEGA DEATH」は余韻が残る作品であるのに対して「HOTO」は余韻が残らない。そして「HOTO」は説教くさい気もするが、伝えなければいけないという強い気持ちがあるから比喩的でなく直接的な表現になったと。
茂木さんは、最近のインテリといわれる(思われている)人たちは、いろいろなことを知っているが「ホーリー」なもの(茂木さんのクオリア日記によると「聖なる」領域という意味だと思われます)を持っていなければならない。そして、現代アートというものは、ホーリーな領域を保つことに成功している。他の分野では少なくなってきている。俗世間というか日常であり現実的であり、商業主義的ということがこの世を覆っているということではないかと理解していますが。

森氏:今回のこの「HOTO」という作品は伝わるか、それとも伝わらないかが重要である。「HOTO」「カウンタースキン」「DEATH CLOCK」そして、4つの作品が『Art in You』という本である。宮島さんがそれまでは「人にわからせる(気づかせる)作品」だったのが、「人(がわかることを)信じる作品」に変化したと感じた。
宮島氏:「HOTO」以前の作品は、カッコつけてる。

それ表現が隠喩的だということをそう表現されている。表現が変化するということを見た気がしました。そして、「すかした現代美術をやめる」宣言ともとれる発言をされていました。また、スーザン・ソンタグの言葉を引用されていました。「写真作品はキャプションが重要」というのは、写真につけられるタイトルでその解釈は全く違うものになるのだということ。だから、現代アートである「無題」については疑問。タイトルをつけることによって伝えられることがある。確かに、私もタイトルが思考のきっかけになることを経験している

茂木氏:現代人は距離感を間違っていると思う。今、評価されている作品が100年後まで残るかどうか。(現代の評価が必ずしも不変性をもたない?)そして、遠くから見ると見えるものがある。ご自身のことも、きっと自分の業績で残るのは「クオリア」だと思う。
宮島氏:距離感というと、やはり格好つけるために距離をとっていた。しかし、次のさらに次の世代にまで伝えたいと考えたとき、それは繰り返し伝えることである。大事なことを伝えたいと思ったときに、一番伝わるのは言葉よりもパッションである。なによりもパッションだけは伝わるのである。若い時は次の世代に伝えようなどとは考えもしなかったが、今になって伝えようと思うようになった。そしてアートの世界にとどまることをやめた。伝えるためには、場所性が重要である。リアルな体験として感じられる。「カウンタースキン」などもその場所性が重要であった。アートの装置性。アートと呼ばなくてもいい。場の空気が換えられるなら、アートでなくてもいい。

つまり、どうしても伝えたいことを相手に伝えるためにはパッションだったり雰囲気というとあまりにも曖昧かもしれないが場の空気に飲み込まれることで感性が非常に研ぎ澄まされるような状態になると普段は見えなかったり感じなかったことが感じられるということが経験上ある。本来は、観る側が感性を研ぎ澄ましたり集中したりすれば見えたり感じたりできると思うのだが、作家はそこまで作品の力を強くしなければ次の世代にまで伝わらない。商業主義的なものの快楽に負けてしまうとどこかで感じているのかもしれない。
多くの人がそこまでの感性を獲得することがどうなのか?悪いとは思わないし、いいのだけどそこまでお膳立てされなければ感じられない程、さまざまな情報が過剰すぎる世の中なのかもしれない

茂木氏:商業主義とは、アートにとってどのような存在かというと友達でもあり敵でもある。資本主義に取り込まれないことが「アート・イン・ユー(あなたの中にアートはある)」である。
宮島氏:商業主義に浸かっている時は、ホーリー(聖なる領域)がない。それは何か欠けた感じである。しかし、ホーリーだけでは何もできない。ヨゼフ・ボイスが84年に西武美術館に招聘されて来日した際、芸大での講演会でボイスが何を言っているのかわからなかった。その時の来日はセゾングループの資金で実現したものであり「7000本の樫の木プロジェクト」もやはり資金がなければ実現することはできなかった。ボイスはホーリーな面ばかりがフューチャーされている。リアル世界では、ホーリーと商業主義(だけではないが日常生活)は同時に存在する。そしてその二つは緊張感のある関係であり、異質なものが同居するとき特有のものである。

この後、質疑応答があり印象的な発言がいくつかありました。

水戸芸術館での展覧会だったので、水戸という場所でやる意味ということを質問されていたと思います。展覧会に対するニーズ(って言い方もすでに商業的じゃないか?)、要は観たいと思っている人が東京に多い(現にこのトークショーは東京ですから)のに何故水戸?ってことなんでしょね?
宮島さんは、東京から急行で1時間のこの距離感がいい。これより遠くても困る。そして、興味深かったのは海外の方が日本で見るべき美術館として考えているのは
1.東京都現代美術館
2.森美術館
3.水戸芸術館
4.金沢21世紀美術館
5.ベネッセアートサイト直島 の5つだそうです。だから水戸芸は結構イケてる美術館だということを、森さんがいるから(?)という話になっていました。

☆デジタルカウンターという数字を使う理由が変化している?
(これに対しては答えそのものというのではなくて)最終的にステートメントは残らない。作品とタイトルだけが残るということをおっしゃっていました。
☆茂木さんへの質問で、脳科学からみるアートは?という質問に、
茂木さんは「脳を活性化するとかウソですから!」とおっしゃってましたよ。(ネットで書いていいのかしら?)
ただ、不思議なことに現代アートの作品の中には、脳が抜きん出て特殊な反応をする作品というのがある。それはどうしてだかわからないそうです。
☆芸大に入るためには、デッサンが重要だがどうすればいいですか?
ご自分の体験談としてデッサンが急激に伸びたときどうしたか?ということで、デッサンというのは面白くないし、どうしても自我を表現したくなってしまう。それがまたよくないのだが、とにかく枚数を描く。かなり自分に負荷がかかっていた。とにかく観続け、座り続けることだそうです。
☆視覚表現の作品を作るのは何故?という質問に対しては、
視覚的なものは理解がとても早く訴求力があるので一気に伝えられるからだそうです。また、その際に展覧会なので作品がたくさんあるときには、1点1点観るのではなく、たくさんの中でひとつだけ本当に心打たれたものだけを見続ける方がいいそうです。満遍なく観ていると疲れちゃうしね(笑)。
☆制作の際にエコということを考えていますか?について。
宮島さんは、エネルギーを消費する作品であり、ヒルズの作品は夜間の点灯時間に制限があるらしい。作品は、みんなの元気を引き出すためのものだということです。スケッチなどは再生紙を使っていて意識はしています。
☆アートというものが閉じられた感じがする。メッセージを発表するのに伝え難い気がしますが?については、
学生時代にアートでもベストテンのようなものでランキングがあればいいのでは?という話をしたことがある。もっとメッセージを発信する「場」があればいい。今回の展覧会に際しては、メディアへの露出を意識的に行った。現代アートはまだまだマイナーだ。

なかなか刺激的な内容の話や、ちょっと笑ってしまうような話(?)もあって大変充実した時間を過ごすことができました。要するに、現代アートは格好つけるものじゃなくて、パッションだ!ということでしょうか?(圧縮しすぎ??)

宮島達男 Art in You

宮島達男 Art in You