「あなたの中のアートが社会へ開かれる時」宮島達男 080523@六本木アカデミーヒルズ【Part1】

まず、このセミナーについての説明を。森美術館によるパブリックプログラムです。現代美術を3つのアプローチで考えます。(A)Artアート(B)Businessビジネス(C)Cultureカルチャーに分類して、アートとの社会の関係性についての講義となります。
今回が第1回ということで、宮島達男氏が講師となり、現代美術家としてまた教育者として、自身のこれまでの活動を通して、人とアートの関係性についてお話されました。
2時間という長丁場でしたので、多少のメモを取りました。宮島氏の作家として、アートをどう考えているかということをアーティストではない、観客である人に向けてのメッセージと私は受け止めました。以下、宮島氏の発言は引用としていますが、一言一句そのままではないのでご了承ください。

芸術の社会的役割とは何か?はたして芸術は必要なのか?
人間は、生きるために経済活動をする必要がある。しかし、経済活動だけで十分だろうか?アートとは、人間にとって人間としての尊厳を維持するために必要である。

ここで、1曲の音楽が流れる。45年前の南ベトナムでチン・コン・ソンというシンガーソングライターによって作られた『ある春の朝』という反戦歌である。ベトナム語で歌われているその美しい歌は、その美しさとは対照的に戦争の悲惨な現実を歌っている。歌詞の内容は、ある春の朝、野原で子供が地雷を踏んで死んだ。戦争による悲惨な現実を心に響く美しいメロディで歌っている。この曲がこれほど美しい曲でなかったら、誰も聞くことはなかったかもしれない。

グローバル化とは、強者の理論である。1960年代末に設立された「ローマクラブ」という全地球的な問題対処するために設立した民間組織である。1960年代にすでに環境問題について考えていた組織であるが、その当時は高度成長を推し進める各国や発展途上国などからそのような考え方はかなり批判の対象であった。

今でこそ、環境に配慮した考えやエコロジーということが叫ばれる世の中であるが、その当時は社会全体が発展することを最優先にした。効率を重んじるために、地球の資源が加速度的に消費してきた。それが地球環境を変えてしまうということまで考えが及ばなかった時代があり、今があることは確かである。

「心のルネッサンス」を考える。

ルネッサンスというのは、直訳では再生という意味です。一般的には、ヨーロッパで起こった古代文化復興のムーブメントです。20世紀に高度成長によって失った人間らしい心を取り戻すという意味での「心のルネッサンス」ということかと思います。

「心のルネッサンス」のためには、文化によって二つの想像力を育成することが必要である。
1. イマジン(imagine)=想像する。他人の苦しみや悲しみを想像する力があれば、戦争や環境破壊はなくなる。今、大人である私たちに想像力がなくなりつつある。
2. クリエイティブ(creative)=創造的な。規制概念に囚われない考え。クリエイティブとは、未来の困難や難しい問題を突破する力。状況を打開する力が人間力そのものである。
芸術がこのふたつの想像力を育てるのに有効である。よって芸術の教育は必要である。

しかし、

多くの人は、芸術について特定の才能がある人だけのものと思っているが、そうではない。アートは観る人の中にあるのであり、心の中にあるアート的な何かを呼び覚ますことに意味がある。

多分、観る人の中に何か感じる心があるならその心の変化こそがアートであるという意味ではないかと思う。作品自体に価値があるというよりも、観て心が動かされることがアートだということをおっしゃっていると思います。

作品は観る人がいるからこそ、はじめて存在できる。それはTVと電波(もう地デジになりますが)の関係に近い。目に見えない作品(=電波)は、存在しない。TV(=作品)を観る人によって成立する。作者(芸術家)の側にあるのではなくなっている。

とりあえず、前半部分はこのような話でした。
確かに、観る人がいなければ作品は認識されない。認識されて、始めてその価値を見出されるのである。そして、その価値というのは単に金額的な価値ではなく観る人の心をどれだけ揺さぶることができるかということに価値があると私も思っている。いくら高価な作品でも、自分にとって価値があるとは限らない。けれど、講演後の質問で宮島氏は「ただ、長い年月を経て残っている作品、みんながいいと思う作品というのは観た方がいい。そういう作品はじわっと感じる。ウソのない、何かがある。」とおっしゃっていました。私も最近そう感じることが増えてきました。歳取ったってことか〜?