“草月のいけばなは、スゴいんだぜ。一見の価値アリー − デイライトバウンド” という記事を読んで

草月のいけばなは、スゴいんだぜ。一見の価値アリ
10年以上前のことだが、(もしかしたらもっと前なのかもしれない。わからなくらいずっと前に)清春白樺美術館勅使河原宏の竹のインスタレーションを観てあまりのすばらしさに圧倒されたことを思い出した。多分、1990年代に竹のインスタレーションを各地で行っていたうちのひとつだと思う。私が観たときは、すでにその会期の終盤だったようで竹はみな姿を枯色にしていた。その枯色の竹で組まれたインスタレーションの下をくぐり抜けている時、自分がどこにいるのかもわからなくなってしまうような錯覚に陥りそうになった。
偶然の出会いとしか言いようがないのだが、その後勅使河原宏という人について調べてみるといろいろなことがわかってきた。まず、私が大好きなサム・フランシスという画家の作品を多く所蔵していた草月流の勅使河原蒼風という人の息子さんで、草月流三代目家元であるということ。勅使河原蒼風という人がこれまたすばらしいアーティストであったこと。海外の一流といわれる芸術家との交流があったこと。そういえば、昔見たアンディ・ウォーホールのシルクで日本人の肖像画の作品が「勅使河原蒼風」「勅使河原茜」があったことを思い出した。いつかはアンテナに引っかかるはずの人である。安藤忠雄とのコラボも多かった。そして、五反田のデザインセンターがオープンしたばかりの頃に、そこで観た假屋崎省吾のひび割れた土のインスタレーションに先にノックアウトされていたことも思い出す。(その当時、勤めていた会社の人に、ふいに質問されたことで「次にブームがくるデザイナー、アーティストは誰?」という答えに私は即座に「假屋崎省吾」と答えている。その当時は、まだああいうキャラじゃなかった。完全に作品だけで判断していた。ある意味きたけどね。)その假屋崎省吾よりも私には衝撃だったのだ。竹を知り尽くしているというのか、ただの竹でなくなってしまうというか。建築やアート、もちろんいけばなというカテゴリーを軽やかに飛び越えてしまっている。
若かった私は、数年に一度めぐってくる朝礼のスピーチに勅使河原宏のこととカルロス・カルパのことを選んで話して、かなり寒い雰囲気にしてしまったことがあった。まだ若かったので、そのすばらしさを伝えたかったのだが、まず伝える能力もなければ相手も場所も間違えていた。大失敗だった。今だったらそんなこと絶対にしないと思うけれど、何故あの時、そんなことをしたのか自分でも解らないけど漠然と「クリエイティブについて」ということを言いたかったんじゃないだろうか?


イタリアのMAZZOTTAから出版されている本の裏表紙。
ミラノでの展覧会の設営の様子も載ってマス。

あえて、映画監督であることについては触れませんヨ。キーワードは[砂の女][利休][豪姫]とか?