坂倉準三/前川國男/木造モダニズム展 08/04/25@GALLERY A4(ギャラリーエークワッド)


展覧会場風景
先日、竹中工務店東京本店にあるギャラーエークワッドで開催されている「坂倉準三/前川國男/木造モダニズム展」に行ってきた。
そして、その日は基調講演として、藤森照信先生による「日本の『木造モダニズム住宅』探検−和と洋そしてっモダニズム−というお話とシンポジウムからなる講演会に行ってきた。定員が200名ということでしたが、200名をはるかに超える参加者が来場していて、あやうく立ち見になりそうでしたが、椅子を出していただいてなんとか座ってお話を聞くことができました。
今回のこの展覧会のきっかけとなったのは、世田谷にあった飯箸邸という坂倉準三が手がけた木造モダニズム建築が解体の危機を回避して軽井沢に移築され、レストラン(ドメイヌ・ドゥ・ミクニ)となって再生された。保存移築のために建物を解体する際に、そのディティールを記録分析したためにいろいろなことが明らかになったということで、飯箸邸と時期を同じくして建てられた前川國男の自邸を比較するという展覧会になったそうです。ちなみに、前川邸は武蔵小金井にある江戸東京たてもの園に移築保存されており、当時のままの内装で見ることができます。

飯箸邸パネル写真
藤森先生のお話は、建築家ではない私にもとてもわかりやすくて勉強になりました。まず、日本のモダニズム建築は二つの流れに分けられます。
バウハウス系】…文字通り、バウハウス系。特徴として、屋根がフラットな感じです。(いただいた資料ではそうなっています)
コルビュジェ系】…今回はこちらのお話。前川國男も坂倉準三もコルビュジェに学んだ建築家です。
まずこの講演で聞いたとても貴重なお話がいくつもあるのですが、要約しますと
1.木造モダニズムというのは、世界的にみてない建築である。モダニズム建築の特徴とは、鉄・ガラス・コンクリートと言われているでその意味では矛盾しているように思われる。しかし、日本では1920年代に日本では鉄筋コンクリートや鉄が貴重だったこともあり、特に住宅建築で木造でモダニズム建築に取り組むことになった。
2.1930年コルビュジェ設計のエラズリラ邸案のデザインを、後に1933年にアントニン・レイモンドが「レーモンド夏の家」でパクっている(影響を受けている)が、のちにコルビュジェはレーモンドの設計の方が自分のよりもいいと認めたらしい。
3.飯箸邸と前川邸は両方とも木造モダニズム建築として貴重な建築だが、共通店としての切妻屋根であるが坂倉の飯箸邸がアンシンメトリーであるのに対して、前川邸はシンメトリーである。
4.ふたりともコルビュジェの元でモダニズム建築を学んだが、木造で建築を建てる場合にその木造工法が水平と垂直による構造であることがモダニズム建築に通じることに気が付いた。
5.飯箸邸と前川邸はほぼ同時期に計画されていた。そして実は同じ「大和田工務店」が施工していた。
6.坂倉が手がけた1937年のパリ万国博覧会日本館は、フィンランド館のアルヴァ・アアルト、スペイン館のジョゼップ・ルイス・セルト(この人もコルビュジェ系建築家デス)と共に建築ゴールドメダルを獲得した。
7.その日本館だが、木造モダニズムで実践してきた構造を鉄鋼に置き換えている。また、水平力はなまこ壁(よく土蔵などでみられる瓦を45度回転させて張り、その間を漆喰でとめる工法)で日本館でも45度の格子が壁面を支えている。
8.さらに日本館の内装のカラーだが、現存する写真はすべてモノクロのためにカラーまではわからなかったのだが、藤森先生が坂倉氏のご家族にお話を伺ったところ、歌舞伎の3色カラーを使っていたことが判明したそうです。
9.1940年の岸記念体育館だが、設計が前川と丹下健三の連名になっいるめずらしい建築である。それは、依頼主が前川事務所に発注したが丹下氏を指名してきたためであるらしい。丹下氏は岸記念体育館で、水平を意識した構造になまこ壁、そして歌舞伎の三色を使っていたらしく、これがパリ万国博の日本館に影響しているのでは?ということでした。
展覧会は思った以上に面白かったです。日曜と祝日はお休みですが6月3日(火)までです。

前川國男は直筆スケッチを所員に見せることはほぼなかったらしいです。

前川デザイン椅子

坂倉デザイン椅子
何故建築家は椅子をデザインするのか?
前川國男の主な作品…東京文化会館東京都美術館紀伊國屋書店新宿店など
※坂倉準三の主な作品…神奈川県立近代美術館、東京日仏学院岡本太郎邸(岡本太郎記念館として公開)など

奇想遺産―世界のふしぎ建築物語

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