クリスマスツリーがやっと準備できました

すでに12月中旬になってしまいましたが、やっとクリスマスツリーを出して飾りつけしました。うちのツリーはでかいけどわりとシンプルです。とくに目新しさはないですがそれなりに気に入っています。

私よりでかいお
そして、クリスマスっぽい料理としてのチーズフォンデュ

自宅で初のチーズフォンデュ。フランスパンおいしいお
そして、京都のおみやげいただいた

すてきな和紙のブックカバー。いつも本屋でかけてもらうのとは違うお。「竹笹堂」という木版のお品物を作っているようです。amazonで本買うとブックカバーないからナイスタイミング!須賀敦子全集7巻をくるんでみました。

畠山美由紀芸能生活15周年記念コンサート@Bunkamuraオーチャードホール

12月12日(金)にオーチャードホールでの畠山美由紀サンのコンサートに行ってきました。
ゲストがまず豪華でびっくりデス。豪華すぎて幕の内弁当のようでした。その中でも、私的にはアン・サリーさんとchoro club笹子さんですね。もともと、私はchoro clubのファン暦がもう何年なのかわからないくらいに前から聴きまくっていましたので、美由紀サンと笹子さんがセッションするようになったのはかなりびっくりでした。数年前のグローリアチャペルで笹子さんがサポートのコンサートもかなり私としてはスペシャルでしたが、今回もいいなあとしみじみ思いました。あと、来年公開の映画「群青/愛が沈んだ海の色」という映画の主題歌。作曲がchoro clubの沢田さんで、あの演奏はchoro clubで聴きたかった…なぁ。
しかし、これほどいろいろな表現ができるってすごいと思った。私はPort of Notesというユニットは特にすばらしいと思っている。それはアルバムの耐久性がとても高い。今いわゆる流行っている音楽は、いいものもあると思うけれど耐久性がないんだな。というか、アルバム単位で通して聴けるものもあまりない。私は音楽にあまり造詣が深くないのでテキトーなことを言いますが、時代を超えられないものの限界を感じる音楽が多いね。最近のJ-WAVEで聴いて、CD買いたいなと思わないもん。まあ、歳をとって聴力衰えてるのかもしれませんが。昔は、良い!と思ったらCDショップに探しに行ったよ。そういうの最近ないなー。でも、自分の特性を考えると、たくさん欲しいとか、新しいものが欲しいわけじゃないからいいです。気に入ったものをずっと聴き続ける。毎朝同じ朝食を食べることと同じな感覚です。新しいものを追いかける時期はもう終わったのでしょうかね?
すごくいいコンサートだったということを言いたかったのだが、ゲストのリリー・フランキーとの「ロンリー・チャップリン」にぐっときて、この忘年会シーズン前に是非習得しておきたいと思ってしまったお。

プレミアムシートについてきたパンフと曲が一切入ってないCD(!)美由紀サン、この場合1曲もないっていうのはいかがなものかと…

ヴィルヘルム・ハンマースホイ展に行ってきました@国立西洋美術館

毎度のことながら、また最終日先日になってしまいました。さすがにかなりの混雑だったので、すべてじっくり観るのに2時間半かかりほぼ閉館時間ぎりぎりになってしまいました。
今から100年前の遠い国であるコペンハーゲンで描かれた画であるのに、今観ても全く古さを感じないのは一体何故だろう?
ハンマースホイと同時代の画家で、友人でもあるピーダ・イルステルズとカール・ホルスーウの画と比較すると、その差は歴然だ。室内や人物が室内で佇んでいる後姿というモチーフは同じである。この二人はハンマースホイから影響を受けて、そのようなモチーフを描いていたが、モチーフが同じであっても描こうとしているものが全く違う。二人の友人の画の方が人気があったことは想像できることである。明るい色調で親しみやすい。もし家に飾るのであれば幸せを感じる画を選ぶであろう。しかし、二人の友人はそういう画を描いたけれど、ハンマースホイの画に影響されたということはその魅力を十分感じていたに違いない。
誰もいない室内の画や、後姿という決してポジティブな印象ではない画なのに、ひそかに心の中に忍び込んでくるような感じである。普段は誰にも話さないけれど、ふと不安に襲われそうになるような気持ちを思い出すような画である。
近代という変わり目で、人が何かを表現しなければと思うその何かが、言葉にしてしまうとなんとなく腑に落ちてしまって解ったような気になってしまうが、アートというのはそういったモヤモヤとした何かを感じさせるものである。描かれている室内の景色を観ているのではなく、心の奥底に押し込めていた夕暮れ時のせつないようなどうしようもない気持ちをハンマースホイの作品を観ていると思い出してしまう。

インテリア関連の展示会が今日までです@ビッグサイト

毎年行われる展示会ですが、今年は不景気なせいか例年よりも全体的に地味な感じがしました。なんかお金掛けてないなという印象デス。経費節減なのでしょう。。(また少し気になったのは、いつもならメーカーのブースに説明や商談をするために営業さんたちがたくさん待ち構えているのですが、どうやら展示会よりも営業活動を重視しているようで会場にいるのは、役職付きの方や営業以外の部署の人が多いようです)同時にいくつかの展示会がありますが、まあ一番気合の入っているのはIFFTという印象です。複数の展示会に出展している企業もありますが、そうすると力が分散されてしまう気もします。まあ、すべての会場を見るという人も少ないと思うので複数出展する意味もあるのだとは思いますが。
私の個人的感想からしますと、新商品をどんどん開発するというメーカーもありますが(顧客からの要望を吸い上げて開発しているとは思うのですけれど)もう新しいもの、ちょっとした差別化は淘汰されているという気がしました。確かに、改良されてよりニーズに近づけるということはすばらしいことなのですが、そのちょっとした差が小さくて消費者にはつたわらない。細かすぎてつたわらなのデス。メーカーはその商品のことをずっと考えているし、顧客からの要望はいろいろなところからあがってきます。私も一時期開発する立場にいたのでよくわかるのです。より良い商品のことを考えれば考えるほど、全体が見えなくなってしまう。開発する人は、そのことに注力するべきだと思うのですが、市場を見渡して方向を決める人も大切です。そういう人があまりいないのか、技術による開発だけがどんどん進んでいき、なぜ売れないのだろう?とメーカー側ではわからない。開発者も販売する人たちも消費者であることに変わりはないはずなのに、ただ売るということしか考えていなくて、結局前に進んでいないのである。
多少不便であることや、面倒であることよりも大切なことがあると思うのです。まず、自分が何かを買うときどうしてそれを選ぶのか?価格を重視する商品もあれば、付加価値を重視するもの、機能を重視するもの、耐久性や省エネ、環境に配慮しているなどいろいろあります。インテリアを選ぶとき、重視することが何であるか?これらすべてなのかもしれかけれど、結局毎日を過ごす場所にあるものであれば気に入ってそば置きたいという気持ちが大きいのではないか?と思う。メーカーにいると、毎日自社商品を扱っていれば愛着も持ちます。欠点があっても、それを補う愛着がある。消費者も同じなのではないでしょうか?自分の使っている椅子が重たいけれど、毎日使っているとその重たいという気持ちもあるけど、そういう不便さもなんだかいとおしくなる。でも、最初に選ぶときに適当に考えたらまた違うかもしれませんけど。いろいろ観て、自分で決めたけど使ってみたら毎日のことだからどんどん古くなっていくし、メンテナンスもしないといけない。でも、メンテナンスすることは長持ちさせるために当然のことなのです。メンテナンスフリーなんて基本的にはありえないと思います。そうして大切に扱っていけるものを提供する。本来ならそういう気持ちで販売する立場にいたのだけれど、最近ではモンスタークレーマーのような人が怖くて、メーカーは完璧な商品を目指すためにわくわくするようなものが作れなくなっているような気がします。販売する立場の側もそうで、完璧なもの、クレームの出なさそうなもの、メンテナンスフリーに近いものを薦めます。日本のインテリアが西洋のインテリアのレベルに追いつけないのはそういう状況もあるのかもしれません。

聞くところによると高円宮妃殿下がお座りになられたらしいリートフェルトのベルリンチェア。

ミッフィーはなかなかがんばっていた。
IPEC ショーケース内の「RIETVELD by rietveld」にミッフィーはいますよ。

IPEC2008が始まりました@ビッグサイト

今年も東京ビッグサイトで、インテリア関連の展示会が始まりました。
1.JAPANTEX2008(社団法人日本インテリアファブリックス協会主催)
2.インテリアフェスティバル2008(社団法人インテリア産業協会)
3.すまい・建築・都市の環境展 ecobuild2008(エコビルド実行委員会主催)
4.2008東京国際家具見本市(社団法人国際家具産業振興会)
5.IPEC-2008 INTERIOR PRO EX CO 2008
今回、IPECに出展しているグリーンポイント株式会社のブースで「RIETVELD by rietveld」ヘリット・トーマス・リートフェルト家具復刻プロジェクトをご紹介しております。リートフェルトは、オランダ出身の有名な建築家であり家具制作者でした。日本では、シュローダー邸(2000年に世界文化遺産に登録)と「レッド&ブルーチェア」で建築家やインテリアデザイナーにとっては大変に有名なのですが、その功績は日本ではあまり多くは知られていませんでした。今回、リートフェルト直径の孫であるエグベルト・リートフェルトと曾孫リース・セイラーによってリートフェルトの家具を復刻する「RIETVELD by rietveld」事業が2004年にスタートしました。今回、いままで日本では観る機会のなかった復刻家具の実物を展示しています。

IPEC内ショーケースに展示しております。一番奥になります。

床は「デ・スティル」をイメージしています。

手前は子供用の「クレイトチェア・ジュニア」(1934デザイン)

おや?クレイトチェア・ジュニアには…ミッフィーちゃんが!!
リートフェルトさんとミッフィーのお父さんであるブルーナさんは、同じユトレヒトの出身でなんとお知り合いだったのです!建築家であり家具デザイナーであったリートフェルトさんと、デザイナーであり画家であるブルーナさん。ユトレヒトセントラルミュージアムにはお二人の部屋があるほど、ユトレヒトを代表するアーティストなんですよ。
もし、機会があるなら観に来てくださいね。

「今、建築家が一番面白い」と東京都現代美術館の長谷川祐子氏は語る - ケンプラッツ を読んで

「今、建築家が一番面白い」と東京都現代美術館の長谷川祐子氏は語る
この記事コメントで、厳しい現実で戦っている建築士さんたちの意見が綴られています。この不景気で、目の前の仕事を堅実にやっている人たちが報われない。建築業界や製造業、小売もそうだと思います。楽して儲けるなんてありえなと思いますが、苦労しても儲からないから不平を言いたくなるわけです。日本に住んでいると、サービスされて当たり前という感覚があります。それは、本来なら「おもてなし」の気持ちから出発していたわけですが、それがないとクレームを言うわけです。お金を払う方が偉くて、いただく方は恐縮する。これはよく考えてみたら嫌な風習です。
もし、住宅を建てるとしたらそのため考えなければならないことがどれだけあるのか?単にデザインだけでなく当然コストや性能、建築が始まれればご近所へのご挨拶など(工事では近隣への配慮を怠るとあとあと痛い目に合いマス)もう考えただけでも大変なのですよ。お施主さまのこと、職人さんのこと(多様な専門の職人さんがいますから)、仕入先など一体どれだけの人とコラボせねばならないか。そういうことに対してお金を払うことは当然だと思うのです。分業すればその分費用が上がるのは当然です。流通するところが多くなるのですから。でも、単に流通しているだけでなくてちゃんとそこには担当している人たちの経験値による最善の策という付加価値が乗っかっているわけです。それぞれの世界としては深いから専門の人がいるわけです。その経験値に是非価値を感じてもらいたい。
建築関係の方のニュアンスは、技術職に誇りをもてる社会になって欲しいということだと思うのです。長谷川裕子さんの記事なのですが、キュレーターという立場からの意見ということです。立ち居地よって当然視点が違います。芸術なんて道楽だというのなら、無視すればいいのです。でも、長谷川さんの言うことが建築に関心がなかった人たちにリーチすることはあると思います。人はどんなきっかけで将来を決めるかなんてわからない。芸術を志している人が、建築に関わることになるかもしれない。建築といっても、多岐にわたるので、その流れのなかでどのパートを受け持つかなんてわからないし、紆余曲折あって最終的に何かを作ることになるかもしれない。または、交渉する立場になるかもしれない。そんなことわからないけれど、芸術をずっと見続けてきた人が「建築が面白い」(実際には建築家と言っていますけど)と興味を持っているわけです。それって、意味のあることだと思うのですけど。ただ、芸術は一人でもできるけど、建築は一人じゃできない。でも、その意味でもキュレーターというのは、芸術家がいなければできない仕事なので建築家のコミュニケーション能力ということもリスペクトしているはずですよ。。

いま金持ちがなすべきこと、してほしいこと−NB online という記事を読んで

いま金持ちがなすべきこと、してほしいこと−NB online
養老先生と隈さんの対談である「ともだおれ」思想が日本を救うというシリーズ対談の中で、インテリアの話があった。養老先生が、隈さんの事務所の近くに住んでいるイギリス人のお宅に行ったときの話が面白かった。
インテリアにシャンデリアや大理石の彫刻とかあってすごいという話の中で、カーテンをドレーパーという、世界で3人しかいない職人の2人を呼んでやってもらったというところ。まず、カーテン扱っている会社にいたのに、「ドレーパー」なる仕事というか職人なんて始めて聞いた。カーテンのひだを寄せる職人だそうだ。カーテンは通常両開きなのだが、そうすると右と左の模様が左右対称なんですけど(っていうか、そうじゃないとクレームですヨ)そのままじゃつまらないからわざわざひだを美的な非対称になるように折り込むらしい。その専門の職人が「ドレーパー」。すごいですよね?日本でも、カーテン専門のお店というのがあって、かなりいろいろな装飾を作ることができるのですが「ドレーパー」はいないと思う。多分そんな仕事頼む人いないし。あと、壁紙の話のとこ。引用しますね。

そのイギリス人の家をもっと言うと、壁紙。壁紙が森の模様なんだよね。木があって、鳥がいて、鳥の種類を見ると、どう見てもツルとか東洋の意匠。2階に上がる螺旋階段のところにも壁紙が来ているんだけど、不規則な螺旋階段のへりでも、壁紙の模様は全部地面になっている。これは絶対に特注だわな。で、聞いてみたら、イギリスにある自分の館にある壁紙と同じもので、200年前の意匠だと。今でも中国で同じものをつくっているから、その型紙でつくらせたんだ、と答えるわけですよ。

日本では、壁紙ってまず存在感あるのって嫌われるというか飽きられるから(と提案する方は思いがちなんで)、柄物なんて提案あまりしない。まず、一度貼ったら替えないでしょう?私の実家だって、もう変色してるから替えてあげたいけど。もし気に入ったものがあったとしても、それと同じものがあるとは限らない。というか、日本はデザインでも古いものが残っていることは本当に少ない。どんどん新しいものを発売しないと消費に結びつかないから。伝統的な文様とかは違うのかもしれないけど、壁紙なんて大量生産品で大量消費されるもののデザインなんてすぐに消えてしまうのである。それは、日本という国がそういう社会を作ったからなんだけどね。
インテリアのことに関して言えば、隈さんが日本にはインテリア界というものがないって言ってたけどそうじゃない。コントラクトという市場があって、プロはいるじゃん。一般の消費者である自分視点で考えても、住宅なんてスクラップアンドビルドの日本に工芸品のようなインテリアなんて考えられないでしょう。
仕事で家を見せる必要のある人とか、こだわりのある人はきっとそれなりに考えているだろう。でも日本人にとって、外と中は違う世界なのですよ。多分自宅を他人に見せる場合は、応接間やリビングくらいに決まっている。日本家屋だと広間という空間もありました。そういうフレキシブルな空間に、重たい家具とか置かないし。今の日本は、日本の文化と西洋的なるものがごちゃ混ぜになっているから混沌としているのだ。(と、いいつつも外人の日本趣味はセンスいいとかあるけど)
西洋的なるものに対する憧れって絶対にある。というか、私がイタリアの展示会に行ってそのクオリティと種類に圧倒されたことからしても「やっぱりイタリアの家具はすごいお」と思ってしまう。日本のすばらしい家具を知っているけど、それとこれとは別なのである。イタリアの家具メーカーというのはもともとどんなメーカーでも出発は小規模で、家族経営が多かった。職人もプライドがあってこだわって作っていた。(今ではいくつかのメーカーが合体して巨大グループができているけれど)最高の素材と最高のクオリティの仕事、美しい造形を目指して作り出した製品を、そうそう簡単に廃番にはしない。廃番という考えもないと思う。いわゆる「受注生産」なのだから、廃番なんてないのです。もし、それが欲しいといわれればまた同じものを作ればいい。日本のメーカーでは考えにくいことだと思う。インハウスデザイナーだって、有名デザイナーだって同じ気持ちでクリエイトしているのですよ。でも、日本ではデザインの地位が上がらないということの原因は生産ラインとか社会のしくみがあるからなんだろうね。一言で語れるほど社会は単純じゃないけれど。
そんな日本でインテリアを生業にするってことが、どんなに厳しいか。よくわかっている。好きじゃないとできない仕事。でも、経営者たちは、働く人間を大切にしないよね。確かに、儲からない世の中だけど、せめて働くことが喜びになるような仕事だったらいいのにね。今の時代に、そんな仕事はないのかもしれなね。(気がついたら愚痴になっていました。申し訳ない。。)
着地が違うところになってしまいました。